――本当に?
東京新聞「本音のコラム」に掲載された一文が、
今、逆に炎上を呼んでいる。
実際には見かけなかった言葉。
コラム掲載後に広がった検索数。
それは“流行”なのか。
それとも“作られた熱狂”なのか。
メディアの責任とは何か。
そして私たちは、どう受け止めるべきか。
父として、教育現場に立つ者として考える。


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高市鬱とは何か?何が問題視されているのか

「高市鬱」は本当にネットで流行していたのか
東京新聞の「本音のコラム」に掲載された斎藤美奈子氏の文章は、次の一文から始まります。
「選挙後『高市鬱』という言葉がネット上を飛び交っている。」
この書き出しが、X上で大きな波紋を呼びました。
実際にXで「高市鬱」と検索してみると、投稿数はごく限られており、多くはコラム掲載後に言及されたものです。つまり、「ネット上を飛び交っている」という表現と、実際の投稿状況に乖離があるのではないか、という疑問が出ているのです。
一部ユーザーからは、
- 「聞いたことがない」
- 「記事が出てから見かけるようになった」
- 「マスメディアが作った言葉では?」
という指摘が相次ぎました。
「作られた熱狂」という指摘
SNS時代において、言葉の流行は一瞬で広がります。しかし同時に、メディアが“流行している”と報じることで、その言葉が現実になるという現象も起きます。
今回のケースでは、
- コラムで「高市鬱」が飛び交っていると記述
- それを読んだ人がXで反応
- 結果として「高市鬱」がタイムラインに増える
という構図が見えてきます。
これは、情報の“自己増殖”とも言える現象です。
もし実態よりも誇張された表現だった場合、それは「デマ」ではないにせよ、「印象形成」を誘導する強い力を持ちます。
デマか、表現の自由か
ここで重要なのは、
このコラムが“違法”かどうかではありません。
問題は、マスメディアが使う言葉の影響力です。
ネット上でごく少数の表現を「飛び交っている」と記すことは、読者に「社会全体がそう感じている」という印象を与えます。
それが事実とどれほど一致しているのか。
マスメディアの信頼性が問われるポイントは、まさにここにあります。
斎藤美奈子氏の過去コラムと中立性の議論
「野党悪玉論の愚」コラムの内容
今回の「高市鬱」コラム以前にも、斎藤美奈子氏は東京新聞「本音のコラム」で政治に関する強い論調の記事を執筆しています。
2025年11月26日付のコラム「野党悪玉論の愚」では、高市首相の「存立危機事態」答弁をめぐる議論について、次のように主張しました。
- 野党の質問は“挑発ではない”
- 問題は答弁した側にある
- 「野党悪玉論」は筋違い
さらに、「メディアや野党の仕事は批判である」と明言しています。
このスタンス自体は、言論の自由の範囲内です。しかし問題視されているのは、「本音のコラム」という場がどの程度“個人の意見”として読者に伝わっているか、という点です。
公正中立はどこまで求められるのか
新聞のコラムは論説であり、必ずしも完全な中立である必要はありません。
しかし、
- 実在が確認できない流行語を“飛び交っている”と書く
- 強い表現で特定政治家を揶揄する
- 一方的な視点が繰り返される
となると、「新聞としての信頼性」に疑問を抱く読者が出てくるのは自然です。
Xでは、
- 「メディアを使ったいじめではないか」
- 「政策を批判すべきであって人格ではない」
- 「言葉の作り方が姑息だ」
といった厳しい意見も見られました。
批判と印象操作の境界線
メディアの役割は批判です。
しかしその批判が、
- 事実に基づいているか
- 表現が誇張になっていないか
- 社会に不要な分断を生んでいないか
という点は、常に検証されるべきです。
近年、テレビの演出手法(ダッチアングルなど)や切り取り報道が「印象操作ではないか」と指摘されることも増えました。
メディアが政治を批判する自由は守られるべきです。しかし同時に、信頼を失えば読者は離れていきます。
テレビ離れ、新聞離れの背景には、こうした不信感も少なからず影響しているのではないでしょうか。
Aoパパ考察|情報はどう“作られる”のか
ラベルが人を傷つける瞬間を、私は何度も見てきた
私は特別支援教育に関わったことがあり、重複障がい児の父でもあります。
教育現場で何より怖いのは、「ラベル」です。
「あの子は問題児」
「発達が遅い子」
「〇〇タイプの子」
一度貼られた言葉は、その子の人格を覆い隠します。
今回の「高市鬱」という表現も同じです。
たとえ政治批評の文脈であっても、「鬱」という言葉を軽々しく使うことに違和感を覚える人がいるのは当然です。
鬱は、本当に苦しんでいる人がいる病名です。
言葉は強い。
そして、メディアが使う言葉はもっと強い。
情報は“事実”よりも“印象”で広がる
SNS時代の怖さは、事実よりも印象が先に広がることです。
- 「ネットで飛び交っている」と書かれる
- 読者が「そうなんだ」と思う
- その言葉が検索される
- さらに広がる
こうして、存在が曖昧だった言葉が“トレンド”に見えていきます。
私は息子に、こう伝えたいと思っています。
「多数派に見えるものが、必ずしも事実とは限らないよ」
重複障がい児のAoは、命があるだけで奇跡の存在です。
だからこそ、誰かを揶揄する言葉や、印象だけで人を判断する空気には、強い違和感があります。
批判は必要。でも“やり方”がある
政権批判は民主主義に不可欠です。
しかし、
- 実在が曖昧な言葉を広げる
- 感情を煽る
- 分断を深める
そうしたやり方は、本当に建設的でしょうか。
メディアが批判するなら、政策を、論理を、数字で。
感情ではなく、根拠で。
子どもたちに見せたいのは、
相手を貶める議論ではなく、
正々堂々と向き合う議論です。
情報に振り回されないために|SNSリテラシーを高める3冊
『ファクトフルネス(FACTFULNESS)』ハンス・ロスリング
世界的ベストセラー。
「思い込み」「印象」「不安」によって私たちがどれだけ誤った判断をしているかを、データで示してくれる一冊です。
✔ なぜ“ドラマチックな情報”ほど信じてしまうのか
✔ なぜ人は分断に引き寄せられるのか
✔ 数字をどう読むべきか
今回の「高市鬱」のように、“流行している”と言われると信じてしまう心理も、この本を読むと腑に落ちます。
『メディア・リテラシー入門』池上彰
メディアがどう情報を編集し、構成し、印象を作るのかを解説する基本書。
✔ 見出しの作り方の効果
✔ フレーミング理論
✔ “伝えないこと”の影響
今回のようなケースを冷静に分析するために、とても役立ちます。
新聞やテレビを“敵視する”のではなく、
仕組みを理解することが大切だと教えてくれます。
まとめ|「高市鬱」は本当にデマだったのか
今回の騒動で浮かび上がったのは、
- 実態と報道表現のズレ
- 言葉の影響力
- メディアへの不信感
です。
高市鬱という言葉が本当に流行していたのか。
それとも報道が拡散を加速させたのか。
真実は単純ではありません。
ただ一つ言えるのは、
私たち一人ひとりが情報の受け手として賢くなる必要があるということです。
メディアを全否定するのではなく、
鵜呑みにもしない。
そのバランスが、これからの時代には欠かせません。
あなたは今回の件、どう感じましたか?
コメントでぜひ教えてください。

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